2013年7月8日月曜日

無の境地

感情というものはとてもやっかいである。

しかし感情があることによって、この世に生まれてきた意味があるのかもしれないと最近思うようになった。

以前私はこう考えていた。

例えば辛い感情はざらついたやすりの紙、その辛い経験が、心の奥にある石のような球を磨いてゆくのだ。ひたすら磨いて磨いてつるつるにしていく。

そうやっていくうちにその石のような球が美しい光りを放つようになるんだと。

先日ある方に、体は所詮当座の入れもの、感情は魂にくっついていないとのお言葉をいただいた☆

頭で考えてみても体で感じてみても、体は当座の器にすぎないということはすんなりと納得できた。しかしそこはまだまだ未熟者なのだろうか、器の小さい人間である。本当の意味で心身ともに理解するのには少し時間がかかるのかもしれない(笑)でも確実にあらゆる感情はうすらいで流れていくのだということは感じられるようになってきた。

これらの感情がなくなり、無の境地、そういった状態になれば、きっと晴れ晴れした気持ちになるのだろう。そして一つ達成感を味わうことが出来るのかもしれない。

人生その繰り返し。

自分の感情をその都度如何に流していくのか。ある意味上手に生きてゆく為の知恵なのかもしれない。

『是諸法空相』(ぜしょほうくうそう)

喜びも悲しみも時の流れとともに消えてしまうもの。だからこそ一瞬一瞬を一生懸命生きて行きてゆくことが大切なのだろう。

今はまだまだそんな境地に立つことが出来ないけれど、いつの日かそう思える日がくることを願って。

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